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2006年08月22日
目指せサッカー大国!
8月16日のイエメン戦はオシム・ジャパン初の公式戦として注目され、また期待もされた。筆者は都合により観戦できなかった。スポーツニュースによれば、勝つには勝ったが、オシム監督もサポーターも試合内容には不満のようであった。その中にあって、後半からの羽生の投入が流れを変えただけに、どんな「オシム・マジック」があったのか、とマスコミ陣は色めき立ったようだが、「左右に開け」との指示があっただけとの事で、いささか拍子抜けの様子であった。
スポーツ紙やTVで評論家諸氏は、この「開け」の意味を説明しつつ、オシム・チルドレンの羽生だからオシムの意を汲んで、期待通りの活躍が出来た、と解説していた。おいおい、ちょっと待って欲しい。攻撃に当たっては、左右だろうがどこへだろうが、相手陣内で、攻撃側の選手が守備陣を釣る(無駄な、或いは囮としての)動きをし、空いたスペースへ味方の選手(第二列でも誰でも良い)が走り込んで、パスを受けると云う攻撃パターンは、サッカーを少しでもかじった者なら小中学生でも知っている基本的な事、イロハのイである。むしろ羽生以外の選手にこのような動きがなかった、或いは出来なかったのは何故かをしっかりとお復習いして貰いたい。
前にも書いたが、監督が出来る事は精々10%程度だと思うべきであり、選手、協会、マスコミ、サポーターを含めたサッカー関係者全体の力が重要である。無駄な動きや、オシム流に云えば水を運ぶ努力した選手をマスコミがもっと取り上げて評価すればサポーターの見る目も変わってくるだろう。
少々前になるが、06.07.28の日経新聞スポーツ欄のカズのコラム「サッカー人として」に「ジーコ戦犯論に待った」が掲載された。カズの云いたい事は、全面的にオシムが良くてジーコが悪いと云う風潮はおかしいと云うことだ。ジーコの登場時にはオシム以上に期待を掛けていたところもあったが、W杯一次リーグで敗退した途端に、手のひらを返すように戦犯扱いにした風潮は許せない、という事だろう。よく考えてみれば、何もジーコが「走らなくても良い」と云った訳でもなかろう。このブログではジーコにレッドカードを出したが、ジーコ監督の戦術に関してではなく、「敗因は体力差」とだけ云った事と、総括もそこそこ日本を去り、トルコのチームの監督に就任してしまった事に対してである。ジーコ・ジャパンの何が良くて何が欠けていたのか、明日の日本チームはどうあるべきか、を協会、選手を交えてじっくりと、論議して貰いたかった。ジーコは去ってしまったが、今からでも遅くはない。オシムに丸投げするのではなく、世界に通用する日本的なサッカーの戦略について徹底的に討議して貰いたい。大げさに云えば、独、伊、仏、英のヨーロッパ列強に伍してW杯で優勝するためにはどうしたら良いのか、国民的な議論を巻き起こして貰いたい。
投稿者 北爪 正路 : 2006年08月22日 12:23